アルフレッド・リードは吹奏楽の申し子とも言える存在の作曲家・指揮者で、日本の吹奏楽の発展にも大いに貢献していて、その功績は“吹奏楽の世界的財産”と言う存在でした。
アルフレッド・リードといえば、吹奏楽をやったことのある人なら、すぐに「多くの吹奏楽の曲を作曲、編曲した人で自分たちもアルフレッド・リードの曲を吹奏楽で吹いたことがある」と応えられると思います。
アルフレッド・リードは、1921年1月25日ニューヨークに生れたアメリカの作曲家、指揮者で、特に吹奏楽については20世紀を代表する音楽家の一人として知られていましたが、2005年9月17日に亡くなり、享年84才でした。
アルフレッド・リードの作品は200曲以上の吹奏楽作品があり、日本でも昭和45年度の全日本吹奏楽コンクールの課題曲となった音楽祭のプレリュードを始めとして、アルメニアン・ダンス、ハムレットへの音楽、オセロ、エルカミ、グリーンスリーブス等々は日本で広く演奏され、したしまれています。
また、指揮者としての活動も活発に行い、来日回数も多く、最晩年にも来日するほどに親日家でもあり、プロの吹奏楽団はもちろんですが、教育団体・一般団体からの委嘱作品なども多く存在しています。
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アルフレッド・リードは音楽に深い理解のあった両親により、10歳でドランベットを、15歳で作曲を学び始めました。
高校を卒業した18才で放送局の作曲編曲兼副指揮者の仕事に就いた、ということで天才的な才能がありました。
21歳の時、第529陸軍航空隊バンドに配属され、副指揮官・ディレクターになり、除隊した後、1946年にジュリアード音楽院に入学して48年までの2年間、ヴィトリオ・ジャンニーニに作曲を師事しました。
その後はNBD、CBS、ABDなどで番組の製作、ベイラー大学でのシンホォニーオーケストラ指揮者として指導するとともに、1955〜1966年までハンセン出版社の責任編集者を勤めました。
1966年にはマイアミ大学音楽学校の教授となり、1993年まで、作曲や理論を教えるかたわら、世界中のバンドと競演したり、沢山の作品を発表しました。
この間、ペルーのリマにあるペルー国立音楽院から名誉博士号を受ける栄誉もありました。
日本でも、全日本吹奏楽コンクールの課題曲にアルフレッド・リードの「音楽祭のプレリュード」が選ばれたことから広く知られることになり、1981年に東京佼成ウインドオーケストラの招きで初来日しました。
1988年からは洗足学園音楽大学客員教授となり、この間、多くのアマチュア楽団を精力的に指導し、日本の吹奏楽関係者に親しまれていましたが、2005年9月17日にアメリカのフロリダ州コーラルゲーブルスで老衰のため亡くなりましたが、享年84才でした。
アルフレド・リードが亡くなって、国内の吹奏楽関係者や中学校、高等学校で吹奏楽部でアルフレッド・リードの作品に触れた多くの人々が哀悼の意を表しています。
そのほとんどの人が、世界の吹奏楽に及ぼした影響は大きなものがあり、吹奏楽を経験したものでアルフレッド・リードの作品に触れなかった人はいないだろう。
アルフレッド・リードの作品で吹奏楽が好きになった。
あの曲のここが私には難しく、一生懸命練習して上手く吹けた時は感動しました。
しばらく吹いていなかったけど、訃報を聞いたら急に吹きたくなった。などがブログなどに紹介されていました。
アルフレッド・リードの作品は日本でもっとも演奏されている作品と言ってよく、よく演奏されている作品は最初に挙げたものの他にもエル・カミノ・レアル、吹奏楽のための交響的素描「オセロ」、春の猟犬など枚挙にいとまがありません。
作品の中には日本の影響が感じられる響曲第5番「さくら」、法華経からの三つの啓示などの作品もあります。
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